【第127話】夢を見失わないしくみ / 深井次郎エッセイ

「この辺でいいかな」「ちょっと疲れたし、いいんじゃない」

「もうこの辺でいいかな」  「疲れたし、いいんじゃないの」

ビジョンを公言し
新しい仲間 に門戸をひらくと
いつもフレッシュ

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人は忘れる生き物です。大きな夢を掲げていても、目の前の連続する問題に意識をとらわれてしまいます。社会起業家だって、革命家だって、政治家だって、アーティストだってそう。世界を変えるんだ、理想を叶えるんだって、ひとり旅にでたはずなのに。途中で失速し道草くって、どこかのアジアで沈没してしまい廃人のようになってしまう。そういうことがあるわけです。沈没とはバックパッカー用語です。ひとり旅にも疲れてしまって、ここらでちょっとひと休みのつもりが、目的を見失ってドラッグなどの気持ちよさにはまって、停滞してしまう旅人が多くいるようです。

旅人としてのオーディナリーには目的地があります。凡人が掲げるにはアホみたいに遠すぎる目標です。「好きなことをやって、人々が自由に生きられる社会に」「地球にやさしい生き方をしよう」そして「世界平和」。そのためにWEBメディアや出版社をまずはつくることにしました。まだ歩きはじめて1年ですが、ゴールが遠すぎてはやくも途方に暮れそうです。こんな遠い道のりの場合、ひとりで旅すると途中で沈没してしまう可能性があるわけです。

「もう十分に豊かな時代なのだから、好きなことをやって自由に生きていこう」こういうトピックは、ここ10年くらいに始まったように思いますが、そうではありません。50年も100年も前に、まったく同じことを言って本を書いたり啓蒙していた先輩方がいたのです。それを知った時は、「うわぁ、100年経っても全然変わってないじゃないか…」と愕然としたわけです。彼らの言ってることが、この100年でぜんぜん社会に浸透していないのです。このペースでいくと、ぼくらが生きてる何十年かでは変わらない可能性がおおいにある。冷静に考えると絶望に近い気持ちにもなります。

しかし絶望と同時に、変化の速度は一定ではないという一縷の望みもあります。ある臨界点に達すると一夜にしてひっくり返ることもある。未来がどうなるか、ぼくらにはわかりません。はなから諦めてしまって、なにも行動しないのは授かった命がもったいない。もし自分の代で目標が叶わなくてもいいように、活動が続いていくしくみをつくりたいなと思うのです。そのために、ビジョンを公言して、常に新しい仲間が入ってくるしくみをつくろうとしています。新しい仲間との出会いがあると、目標を思い出すきっかけになります。

たとえば、ソニーです。創業時のビジョンとして、「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」を掲げました。きっと、口には出さなくても「自分で掲げといてなんだけど、それって無理なんじゃないの」と創業者の頭をよぎったときもあると思うのです。しかしそこに、ビジョンに惹かれた新人が門を叩いてきます。「井深さんのインタビュー読みました。いっしょにやりたいです」そういうフレッシュな思いに、「ああ、そうだった、忘れるところだった」と我に返るのです。北極星のようなブレない目標は公言しておくほうがいい。生身の人間はだれしもブレますが、掲げたビジョンはブレません。自分が忘れても、ビジョンに惹かれた新しい仲間によって、その都度我に返ることができます。

だから、本当に叶えたい、大きな目標を掲げるのです。夢物語だと言われようとも、恥ずかしげもなく掲げます。これから困難にぶつかって、もういやになっちゃった、ということもあるでしょう。逆に、居心地が良すぎて、幸せボケで落ち着いてしまい、歩みが止まることもあるかもしれない。本が売れればそれでいい、とか、自分たちが食えるからこの程度でいいんじゃないのとか、自分の立場を守ってしまったり。賞をもらったり他人から評価されたからとか、そんなとるに足らないことで、当初の目的を忘れてしまわないようにしたいものです。人は忘れやすく、意志が弱いからこそ、目標を公言するのです。まわりの人によって自分を律するという作戦、お試しあれ。

 

(約1608字)

Photo: piotr


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。