【第123話】小さな野茂と切れた凧 / 深井次郎エッセイ

日本人には初めて会ったな。親切だったな。

「日本人には初めて会った。親切だったな」

代表を背負って生きるのか
旅の恥をかき捨てるのか

 

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海外に旅に出ると、日本代表という意識になるものです。日本人がほとんど訪れない地域なら、あなた1人の印象で日本人の印象が決まります。「日本人ってメガネかけてカメラ持ってるよね」「なんでもイエスで、騙されやすいな」とか。なにせ、その地域の人たちは、他の日本人を知らないのです。サンプル数が少ないので、「日本人はみんなそうなんだ」と思ってしまっても無理はありません。日本代表を背負うには、責任重大です。日本のイメージに泥を塗るような行為をしてしまうと、後輩たちに迷惑がかかります。次にその地域に訪れた日本人が、冷たい対応をされてしまいます。

実はこういうことは、旅にでなくても日常生活でもあるものです。たとえば、自由大学で講義をするときは、自由大学を背負っています。初めて自由大学の人に接するのがぼく、という人もいるわけです。ぼくの印象が熱心で楽しそうに働いてるものだったら、「自由大学って笑ってる人多いよね」となる。ぼくの講義が良いものであれば、「きっと他の教授の講義も良いものなのだろう、受けてみようかな」となります。これが逆に悪い印象だったら、二度と自由大学には足を踏み入れないかもしれません。

ひとりきりで生きてる人がいない以上、だれもが何かを背負っています。組織に属していない人でも、家族と親戚がいます。なにか事件を起こしてしまったら、珍しい苗字だったら「あれ、親戚?」と言われてしまいます。もしあなたが東大出身者だったら、「さすが東大」と言われるのか「これだから東大は」と言われるのかを背負っています。自分は別に迷惑しないのです。旅の恥はかき捨てな気持ちで「もう二度と会わないし、どうでもいいや」で逃げてしまえばいいのです。でも、次に来た後輩が、はじめから色眼鏡で見られてしまって迷惑してしまいます。

逆に言うと、自分が後輩たちの未来をひらくこともあるわけです。メジャーリーグに挑戦し、活躍した野茂英雄選手がいたからこそ、「日本人もなかなか使えるかもしれない」とアメリカ側の意識が変わりました。同じような例で、デザイン会社のデザイナー募集の欄には、「経験者のみ。3年以上」と書いてあります。でも、未経験者でも社長になんとか頼み込んで採用してもらって、その人が活躍をしたとします。すると、「未経験者じゃ通用しない」という社長の思い込みが崩れます。「もしかしたら未経験でもやる気とセンス次第で通用するかもしれない」となり、その人のおかげで今後の募集は「経験問わず」となるかもしれません。

そういう小さな野茂たちが、たくさんいるのです。クレジットカードをつくる時だって、個人事業主のフリーランスは信用されにくいのです。支払いが滞った先輩たちのだらしない前例がたくさんあったのでしょう。ちゃんとしたフリーランスの後輩まで、「不安定だし危なくない?」という目で見られてしまいます。

キッズワークショップなどで、子どもたちに接するときは、特に背筋が伸びます。良き大人であろうと心がけます。もし、先生のぼくがこわい印象になってしまったら、人生経験が少なく、人物のサンプル数が少ない子どもたちは「濃い顔で短パンはいた男は注意」というレッテルを貼ってしまうかもしれません。濃い顔アレルギーがつくられて、子どもたちが濃い顔の男を避けるようになってしまってはいけません。全国の濃い顔のみなさんに、ご迷惑がかかります。

そうやって1つ1つ自分を縛っていくのは、自由とはかけ離れていくように見えます。でも、ぼくの場合は、縛るからこそ社会生活がギリギリ営めているところがあります。根がだらしない人間という自覚があるので、縛っておかなければ、切れた凧のようにどこかに飛んで消えてしまうかもしれません。勝手に背負うことは、やりがいにもつながります。なにせ小さな野茂、パイオニアですから。「自分ひとりさえ良ければいいや」なのか、「後輩たちのために私が切り開くんだ」と思うのか。あなたの仕事のクオリティーは確実に変わってくると思うのです。

 

(約1625字)

Photo: piotr


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。