【第075話】鍋パーティーは旅である

「郷に入りては郷に従え。それがイヤなら、旅に出るのをやめなさい」

「郷に入りては郷に従え。それがイヤなら、鍋に行くのをやめなさい」

 

直箸派と取り箸派
あなたはどちらですか?

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寒い季節は鍋。みんなで鍋を食べるとき、取り箸を使いますか。またはそのまま直箸(じかばし)を使うか、はたまた逆さ箸を使うかという問題があります。もちろん郷に従えで、その場に応じて振る舞いをチューニングしていきますが、ぼくはできることなら直箸でいきたい派です。

理由としては、いちいち箸を持ち替えるのが面倒。その一点に尽きるわけですが、大皿料理って、みんなで突っつく用に大皿で出すんじゃないんですか? 料理に詳しくないので、だれかに聞かなきゃなんですけど、突っついちゃいけないものは最初から一人一皿に小分けにしてから食卓に出せばいいですよね。まあ、そこまで直箸を禁止するなら、幹事はそもそもなぜ鍋にしたんだという話で、丼ものにすればよかったわけです。この箸問題には正解がないので、その集まりのリーダーや幹事、主催者が決めることなんだと思います。なので、その主催者の振る舞いに従う。そうやってぼくは今までやってきました。

旅でも現地の風習があります。なので、それに習うのは礼儀です。他人の家に招かれたときも、そうしますね。インドで長老にガンジス川の水を飲めと言われたときも、顔をひきつらせながら命がけで飲みました。本当は鍋パーティーに出るのも、旅くらい覚悟のいることなのです。「鍋を直箸で食べてる人がいて、すごく嫌でした。みなさんはどう思いますか?」という声がたまにあります。人が集まれば、主義主張が違うのは当たり前なので、ぼくだったら「その会のリーダーに従ったら?」と答えます。それが自分の好みと違っても、ガンジス川の水のように、ぼくだったら飲む。顔を引きつらせてしまうのはぼくが未熟の証拠ですが、成熟した旅人はニコニコしながら飲む。

「好きなことをやろう。できるだけ我慢はしないほうがいいよ」これがぼくの基本メッセージです。なので、「我慢して従いなさい」というのはいつもと言ってること違うぞって人もいるかもしれません。でも、直箸は嫌いかもしれないけど、この鍋パーティーに出るということは、紛れもない自分の意志で、好きで選んだことです。誰かに強引に連れて来られたわけではありません。たとえきっかけとしては友人に誘われたにしても、断ることができたのに、来ることを選んだわけです。そうなったら、後はもう旅の掟。郷に従え、というわけです。

ちなみにあのとき、ガンジス川の水を飲んでよかったと思っています。自分の世界が広がったからです。日本の旅行会社のHPでは、どこも「膝上以上は入らないでください」と警告していて、足を川につけるだけという場合も、「靴擦れなど傷があるかもしれないので、できることなら避けること」と言われています。でも、現地の人は、その水で歯を磨いたり、祈りながら飲んでいる人もいる。一応、人間が飲んでいるわけです。ぼくの場合、幸いなことに飲んでも大きく体調が崩れることはありませんでした。(すでにその前に体調を崩してずっとその後も悪くて、悪いまま安定していたわけではありますが)。長老に飲まされる状況にならなかったら、自分ですすんで飲むという経験は絶対にしなかった。おかげで、「ガンジス川の水も飲めるじゃないか」という新しい価値観ができました。大丈夫じゃないか、ビビりすぎていたな、と。これで災害時も、泥水が飲めます。

旅に出るという選択は自分の意志でしたことです。長老に会うというのも、自分から探し出してその人物にアプローチしたのです。好きで選んだことなのだから、そこから先は、身をゆだねないと新しい自分に出会うことはできません。それが旅の魅力、鍋パーティーの魅力です。鍋の箸問題で郷に従うことができない人も同じ。従ってみたら意外と新しい発見があるかもしれませんよ。

(約1550字)

Photo: Matt Ming 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。