【第072話】消えた二宮金次郎のなぞ

危険は自分で判断しよう

常識はなくてもいい。良識があれば

 

歩きスマホを助長しているのが
二宮さんなわけないでしょうに

———

最近、「歩きスマホ」のアナウンスが多くなったように思います。駅でもよく、「やめましょう」と流れています。そんなに事故やクレームが多いのでしょうか。たしかに、スマホの意識の吸着力はすさまじいものがあります。のめり込んでしまいますよね。でも、動物は進化する生き物。すぐ適応するので、歩きスマホもなんなくこなせるようになる人が増えてくると思います。

歩きスマホの問題で、二宮金次郎の像を撤去する動きまでいく。これは異常だなと思います。あの、よく小学校にある像です。本を読みながら、薪をかついでいる像。あの二宮さんが、歩きスマホを助長しているというのです。本当かよ。「子どもの小学校で、こないだ撤去されたんだ」と友人が笑って教えてくれました。

あれって、勤勉の象徴ですよね。あのマルチタスクをこなす出で立ちは比喩ですよ。実際の二宮さんはかつぎながら本を読んでいなかった。そう言ってる研究者によると、あの像は、「そのくらい勤勉に働きなさいよ」ということを伝えたいのであって、この姿を真似しなさいよというわけではないのです。「昼間は薪を運んで働いて、夜は寝る間も惜しんで本を読み」という昼と夜を同時に表現した結果、あの「歩き読書」になった。2つの時間を1つに表現しているのです。これは、前にさらっと教育について調べてたときに見つけた話なので、二宮金次郎について調べる気がある人なら、「歩きスマホ」の話で悪者にされるべきものではないのは、すぐにわかるはずなのです。保護者がクレームをつけたとしても、「二宮さんは勤勉の象徴なんですよ。昼と夜の2つの場面を1つにしてるだけなんです」という説明をすれば、すぐに「ああ、そうでしたか。無知でごめんなさいね。おほほ」となるでしょう。

「歩き読書」の指摘だけでありません。あの像に対して「子どもに働かせるというのはいかがなものか」という意見も同時にあるようです。いや、だから時代が違うし、小学生に「働けよ」と言ってるわけではなくて、「勤勉に生きようね」と言ってるだけでしょう。何かのいいがかりとしか思えませんが、面白い意見を本気で言う人もいるんですね。でも、校長先生は、教育者なんだから、ちゃんと調べて説明してあげないと。

そんな勘違いするほど、子どもはアホではない。と今書いていて、ふと我が身を振り返ってみたんですけど、やっぱり勘違いをしてしまう可能性はあるかもしれません。いや、子どもの頃は、相当にアホでした。ウルトラマンを観て、なりきって二階から飛んだり、大人がコーラ飲んでるのをみて飲んでみたくなって、空き瓶を拾ってきて、泥と水混ぜて「コーラだ。ぷはぁー、やっぱりうめーな」とかゴクゴク飲んでましたから。色が茶色ならコーラだと思っていた。「あんたそれは泥水だよ」と親に指摘されるまで毎日飲んでいた。ありえないことをしてしまうのが、子ども。

でも、痛い目をみて学んでいくんです。歩きスマホをどうやったら減らせるか、という話も、それぞれが自分で気づくしかないと思います。ヒヤッとした経験をすれば、危ないなと気づいて今後は気をつけるようになります。子どもには教える必要がありますが、歩きスマホをしている人は、子どもというより、もう高校生以上の意識のはっきりしている年齢の人ですよね。わざわざ注意する必要ない。じゅうぶん自分で考えられる年齢です。

人には能力差があって、歩きスマホが得意な人もいます。バスケで言ったら、さらっとノールックパスができてしまうような視野の広さと、どんなに荒れたゲームでも冷静な判断力を保てるような選手。そういう才能のある達人は、やってもいいと思います。自分の能力を自分でどう判断するかじゃないでしょうか。この自分で判断する、ということが大人になる上で大事です。たとえば、赤信号は渡ってはいけません。でも、誰ひとり車ひとつ通らない田舎の道での赤信号。見渡す限りの田んぼ道で見晴らしは良好。どう見たって、車はしばらく通らない。その横断歩道を、あなたは青になるまで律儀に待ちますか? 半径1キロ以内に、自分以外の人間はどうみたっていない。「決まりは決まりだから渡ってはいけないでしょう」という人がいてもいいし、「絶対安全なんだから赤でも渡るでしょう」という人がいてもいい。いい大人は、もう臨機応変でいかないと。

最近はハンズフリーって言うんでしょうか。携帯を耳に当てないで、イヤホンで話している人がいます。スカイプとかなのかな。耳に当ててないので、電話しているとは最初わかりにくい。独り言を言って笑って歩いているので、なんて陽気な人だとビックリします。何人もそういう人がいると、ちょっと気味が悪いですけど、そのうち慣れるんでしょうね。それがスタンダードになれば、ぼくの独り言も恥ずかしくなくなるかもしれない。ぼくは電話じゃなくて、普通に夜道で独り言がでてしまうので(ちなみにお酒は入っていません)。考えながら歩いていると、「そっかー、もし自分の眼がカメラだとすると」とか普通に人と会話してるくらいの大きさで話しているらしく、通行人に聞かれたのに気づいて、ハッと赤面してしまいます。ついつい夜道は歌っちゃいますよね。歩くと体といっしょに思考も進むので、ついついスマホで受発信したくなるんでしょう。あなたも気をつけてねー。

(約2112字)

Photo: marcusuke


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。