【第039話】観察する顔になるとき

さて講義をはじめますよー

「さて講義をはじめましょうかね」 とある大学にて

 

 

マジックミラーの外側にいる人々

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あ、「観察する顔」になってるなと思う時があります。自分がなってる時はハッとして直しますし、相手がなっている時は、どうやったらこちらの世界に戻って来れるかを考えます。「観察する顔」って、あの無表情なぼーっとテレビを観ているような顔です。

人前で話すことを、多くの人はいやがります。あのいやな緊張感があるのは、「観察する顔」の存在です。こわいのは、ただ視線の数が増えるからという理由だけではありません。それよりも大きいのは、聞き手の視線のつかい方が変わるからです。

一対一で話す時は、双方向のやりとりがある。笑顔には笑顔で返し、あいづちも打つ。それなのに、聞き手の人数が何人かを超えたあたりから、双方向から一方通行になる人が出てはじめる。聞き手の顔が、「観察する顔」に変化してくるのです。

聞き手は、まるでマジックミラーの外側にいて向こうからは自分が見られていないと思っているかのようです。話し手はすべてをさらけ出しているのに、聞き手は安全なところからその相手を無表情で観察することができる。

どのくらい距離ができると人は「観察する顔」になるのでしょうか。ぼくたちは一対一で話すぶんには特に緊張することはない。一対四で話すぶんにも緊張はしない。まだ表情はあるし、あいづちもある。でも、一対二十を超えるといやな緊張感がある。テレビをぼーっと観ているような、あるいはのぞき身的な視線のつかい方。あの無表情がずらーっと並んでいる前で話すのは、だれでも苦痛なのではないでしょうか。そういう聞き手、就活だったらそういう面接官にあたるとつらいですね。そういう人が「うちの会社はコミュニケーション力を重視してまして」とか言っていたりする。まず己からですね。

センスがある人とか、人前で話し慣れている人は、その「観察する顔」をむけられるつらさがわかっているので、聞き手に回っても思いやりで、リアクションをとってくれます。笑顔でうなづいてくれたり、まるで一対一のようなコミュニケーションをしてくれる。こういう聞き手は、話し手から見て、ぜったいに目に留まるし、とても嬉しい。人はモノじゃないのでね。

場は、一方通行ではなく双方向のとき、おもしろくなります。聞き手が、「観察する顔」をやめ、まるで一対一かのようなリアクションで話し手に応じてあげる。そういうよい空気をつくれば、話し手ものってきて、「そういえばね」なんて普段聞けないような話まで聞けたりする。そっちのほうがどう見ても有意義です。

「なんだか相手の元気がないな」と思う時は、こちらに原因があることも多い。相手の元気をなくすには、こちらが観察するだけで十分です。ぼくらはテレビを観て育ったし、油断するとすぐにそういう無表情な顔でぼーっと観てしまう。でも「観察する顔」でリアクションが皆無だからといって、話の内容が刺さっていないわけではないのがまた面白いところ。話し終わってから、「すごくためになりました」と言いにきたりするんです。自分がやられたらいやなことはしない、というのは子どもの頃から親にも先生にも言われているけど、なかなか気づくのは難しいものですよね。

(約1317字)

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。