【第037話】上から降る一億の情報

「きみかい? わたしを探している日本人というのは」

「きみかい? わたしを探している日本人というのは」

【インド旅篇】

聖者ババとの対話
「情報には3つある」
上から、横から、そして内から

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ガンジス川のほとりで聖者ババと話していた。ババはサドゥーと呼ばれる聖者で、修行僧、苦行者とも訳される自由人だ。iPhoneをインドに来てからは、外では持ち歩かないが、その日はつい癖で持ってきていた。時間を確認するためにとりだすと、ババが見せてくれという。ぼくのiPhoneの端末に目をやり、facebookやTwitterの投稿が流れるところをみた。

「おもしろい。きみたちの情報は、上から降ってくるんだな」
上から降ってくるという表現の方がおもしろい。

ちょっと話がそれるが、サデューで携帯をもっているものは見なかったが、インドに来て驚いたのは、携帯電話の使用率。そんなに裕福ではなさそうな人まで携帯でずっと話しながら自転車をこいでいたり、バイクに乗っていたりする。あの雑踏の中、乗りながら話すのは、さすがに彼らの運動神経を尊敬するしかない。通話料が安いのかな。かなり長話している。いい服を買うよりも、いい自転車を買うよりも、携帯電話なのかな。人間のコミュニケーション欲求の高さは、衣食住にもまさるのかもしれない。宿の若者スタッフはiPhoneも知っていて、見せてくれよと言ってきて、「やっぱりいいなぁ」と触っている。アップル製品はほかの端末にくらべて高いのだそうだ。

ババに「この機械はなにが便利なんだ?」と聞かれたので、これであらゆる情報が調べられることを説明する。たとえば、天気予報だって、ほら。明日の天気は98%で雨と出てるでしょうと解説する。それは便利だねと言いながらも、痛いところをついてくる。

「でもきみはバラナシが洪水だという情報も知らないで来てしまったんだろう?」
情報がたくさんあっても、自分で調べる能力がないと意味がない。そしてババは、「明日は雨じゃなくて晴れだと思うよ」と続けた。いやいや98%の表示が出れば、これは確実に雨ということでしょう。しかし、次の日は清々しいほどの晴れ。一滴も雨は降らなかった。こういう他人が考えた、科学的といわれる情報もいいけど、妄信してはいけない。いま自分の目の前で起こっていることを、解像度を上げて「観る」。そのことから正確に判断する訓練を積んでいきたい。

日本のビジネス社会を思い出す。書類ばかりに目をやって、目の前の人物を観ていないことが多い。就活の面接官だってそうだ。テストの点や、学歴と笑顔だけで決めている会社も多い。データで判断してしまう。面接官は自分の目に自信がないのだ。だから、「高学歴の人を採用しておけば、仮に失敗しても上司に言い訳ができる」などと言う。いかにして自分の責任を回避するかがサラリーマンなら、いっそ面接などやめたほうが効率がいい。データだったら会わなくてもわかる。

「わたしのことをずいぶんと探したらしいじゃないか」とババは笑う。この端末で調べればすぐだったんじゃないか、と言うが、そこまで細かいことはまだ無理なんだ。ぼくらの情報は「上から降ってくる」が、ここでの情報は「横から」くる。人のクチコミだ。この生活圏で起こったことはすぐに伝わる。さっき10キロ先で大きな事故があったとか、バラナシに危ないやつがやってきたとか、情報がクチコミですごい早さで伝わる。インターネットよりも早いかもしれない。

この旅の目的の1つは聖者ババに会うことだった。探した手段は、聞き込みだった。彼を見たことがあるという人はすぐに発見できたが、難関は次だった。「いつもはガンガーのほとりのある一画にいることが多いのだが…」というが、この時期はあいにく洪水でその区域は水没している。だから、「どこにいるのかわからない」というのだ。これは滞在中には見つからないなと半分あきらめていた。これだけ人がたくさんいる。しかも、相手は浮世離れしている住所不定の聖者だ。『ウォーリーを探せ』より難しい。しかし願いは通じた。探しはじめてから3日目。人のネットワーク、クチコミで居場所をつきとめたのだ。

 

発見数日前にすれ違っていた

発見数日前にすれ違っていた

「一度すれ違ったことがあるが、きみたちは、わたしに気づかなかったぞ」
実は、ババを発見する前にぼくらは一度ニアミスをしていたようなのだ。そして、後日写真を整理してたら、あった。何気なく通りを撮った写真にババが写り込んでいたのだ。なんという奇跡。あれだけ探していた人物を、これだけ至近距離ですれちがったのに見逃すとは、ぼくは刑事には向いていない。彼の姿は日本にいるときから頭に入っていたはずなのに。ぼくらはいかに目の前のことをちゃんと観ていないかということだ。どうせ体調が悪かったから、その心配ばかりしていたのだろう。逆にババは、何の関係もない日本人とすれ違ったのを「観て」いたのだった。

「もっとも大切なのは、内からの情報じゃないか?」とババは言う。「上からの情報」、「横からの情報」、そしてもう1つは「内からの情報」だ。例えば眠りながら観る夢や、沸き上がる心情、直感。これらをもっと注視することだ。

サデゥーはアウトサイダーだ。いつも枠の外にいる。彼ら聖者としてのサデゥーはインド文明の発祥の頃から存在しているが、社会制度には組み込まれない。あれだけ強固なカースト制度さえも、その外に立っている。彼らには通用しない。世捨て人みたいなものだ。相手が王様であろうとひざまずくことはない。そして家族もいない。全財産と言えば、風呂敷で背負えるくらいの祈りの道具くらいなものだ。お金も持たずに移動する。歩く時もあれば、無賃乗車で遠くへ旅する時もある。行き先は気の赴くままだ。その時の自分から沸き上がるものを大切にしている。旅に出たければそうするし、普段はただ祈り、坐る。

どこかの宗教の僧侶とも違う。そういう僧侶だったら、自分は伝統のあるどこどこの宗派に所属していて、今このランクにいるという序列がある。その地位や他者評価によって誇りを持つことはできる。社会に認められているという盾があるわけだ。サデゥーは違う。何も持たない。社会的地位もない。聖者ではあるが、もしここが日本だったらホームレスとカテゴライズされるかもしれない。枠組みから完全に外にいてもなお、あれだけ誇り高くいられるのは、どういうわけだろう。他人を否定することもしない。だれかの役に立っているかといえば、それもほとんどない。いや、人々に施しをさせてあげて、徳を積ませてあげるという役には立っている。聖者とはそういうものだ。

「自分は自分である」
普通なら、社会の枠から外れたら生きていけない。惨めであると思ってしまう。そんな恐怖がある。しかし、ひとりで生きる強さも、実は人間にはあるのだ。何も持たずにでも、生きている。ババは細くて小柄だが、パワーを感じる。

「強い必要があるのかな。ただ、あるだけだ」
威圧するようなパワーではなく、不思議とリラックスする気配。そういう気配を学べたのは、ぼくには収穫だ。

(約2803字)

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。