【第035話】沈みゆく再生

「がんばれ、ジャック」

【インド旅篇】

水没したiPhoneの話

 

この20日間の旅で保険を2度も使った。いままでの人生で保険をつかったことなどなかったが、今回はお世話になってしまった。保険会社に払った以上の金額を負担してもらったことになる。申し訳ない。

保険の1度目は、病気で診療所にて。もう1つは、iPhoneの水没だ。電話帳のバックアップもとっていなかったから、すべてのアドレスが消えた。しばらく電話が使えない旨を、facebookで投稿すると、みなさん同情してくれたんです。「かわいそうに、ガンジス川の自然災害、洪水でやられたんだな。過酷な旅だな」と。

だけど実情は違いました。洪水の時は、無事だったのです。濡れないようにビニール袋に入れてバッグに入れておいたし、基本、外に持ち歩かないようにしていたからです。水没したのは、ガンジス川ではなく、空港ででした。完全にぼくの凡ミス、油断をしておりました。

インドからバリ島へ向かう飛行機にのるため、ぼくらはクアラルンプール国際空港(マレーシア)で、9時間ほど待っていました。空港内は、冷房が激しく効いていて、薄着しかないぼくは凍えていました。まるで真冬に外でじっとしているような寒さで、でも空港の外にも出れないので逃げ場がない。旅中ずっと体調もよくないせいもあったと思います。余計にこたえました。やっぱり荷物が増えても、上着は持っていったほうがいいですね。真夏でも飛行機の中も拷問のように寒かったし。

とにかく、極寒。体温を上げようと、空港内をウロウロ歩き回ってました。空港関係者っぽい人を見つけるたびに、「冷房効き過ぎじゃない?」と声かけながら。さすがに9時間も徘徊してるとつかれてきて、ベンチに座ると、前にテレビがあって『タイタニック』が上映されていました。何回も観てて内容も覚えているので、英語でも楽しめた。タイタニックも寒い映画(内容がじゃないですよ、気温が)ですので、いまの自分にピッタリだなと感情移入できたのです。ぼくも頑張って耐えようと。

沈みゆく船で最期まで演奏を続ける音楽家たちの場面で、ああ、自分もこうありたいよなぁと毎度なんですが思いながら、いよいよジャック(レオナルド • ディカプリオ)が死んでしまう場面です。氷の海で助けを待つジャックとローズ。ジャックは海中に身を浸しているので、体温の低下が著しい。歯がガタガタする。

「この恐怖は、バラナシで経験したなぁ、助かってよかった」
そう、バラナシの点滴事件でもタイタニックのイメージが降りていたので、この旅はタイタニックと縁が深い。タイタニックはいまのぼくに何を伝えようとしているんだろうか。生きてることに感謝しながら、でもこの空港の寒さも異常だろ。でも、気分はジャックなので、ここは我慢。そしてついに、ジャックは凍りつき、氷の海に沈んでいきます。

このときに、なにか嫌な予感がしたのです。海に沈んでいくことが他人事じゃない胸騒ぎがした。ボコボコと沈んでいき、苦しい体感があった。そういう映像も見えた。あれ、ちょっと映画に感情移入しすぎちゃったかなと思いながら、不安になったのでメンバーがいる拠点に戻りました。

この白い入れ物の中でそれは起きていた

この白い入れ物の中でそれは起きた

で、iPhoneどこだっけと荷物を探ったら、なんと水没してた。この上の写真のケース。機内持ち込み用につかってるビニール製のなんですけど、これにパスポート、文庫本、iPhone、財布。つまり大事なものとか、移動中必要なものをひとまとめにしているんです。ここに、ミネラルウォーターのペットボトルを横にして入れていた。ふたは締まっているので当然大丈夫だと思っていたんです。でも、ふたが日本のと違い、しまりが甘いというか、すきまがあったのかな。ドボドボと全部出きっていて、もう海みたいにヒタヒタになっていた。

ああ、ジャックはここにもいたんだと。あの沈んでいくイメージはこのことだったかと驚いた。よく双子の片方が危険な目にあっているときに、もう片方は嫌な予感、胸騒ぎがあるという話しはありますが、ぼくの相方はiPhoneだったんですね。かなり通じ合っていた。インドでの生活で、直感みたいなものも研ぎすまされたのかもしれない。

とにかく、この沈んだジャックを、彼を助けないと思ってメンバーに聞いたら、対応としては、とにかく電源を入れてはいけないと。電源を入れたらショートしてアウトだと。あとは乾燥を待つしかないということなので、おとなしくいじらないでおきました。タオルでびしょびしょになった、パスポートや本たちを拭きながら、みんなにこのタイタニックの顛末を話して盛り上がってました。たのしかった。

iPhoneは結局、日本に帰ってきてからも10日間ほど自然乾燥させてアップルストアにもっていきました。結果、やっぱり死んでいた。電源は入らず、アドレスも写真も全データ消えていました。これは困ったことなんですけど、どこかで少しすっきりもしていました。本当に必要な人はいなくならない。facebookもやってるし、WEBサイトもあるし、もし本当にぼくにコンタクトしたい人がいれば、「深井次郎」で検索すればどうにでも連絡はつきます。縁があればまた再会できる。実際、とくに困りませんでした。この旅のテーマは「再生」でしたが、電話帳もすべて消え再生されました。ふたがしまってるペットボトルの水が出るなんて普通はありえないことです(インドネシアではあることなのかな)。しかもタイタニックを観ているタイミングで。ありえないことが起こってしまうのだから、この偶然の一致はぼくにとって大きな意味のあることなのでしょう。一度死んだと思って、ゼロから始めなさいということか。

空港で、その後大変だったのは、パスポートも水没したことです。ゲートを通るたびに止められ、「Why  なんで濡れてるんだ?」と怪しまれるわけです。ほかに濡れてる人なんていませんから。水のせいで、各国のスタンプがにじんで消えかかってます。なんで濡れてるかを英語で説明するのが、難しかった。「ペットボトルの水がこぼれた」と言っても、普通こんなに全部ひたひたになることはない。「故意にかけたのではないか、怪しい」みたいな反応をされるのです。だからね、このビニールケースに入れててねと、状況を再現し毎回説明してつかれました。

というなんとも、不思議な偶然とトホホな出来事でした。

(約2500字)


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。