【第231話】あなたに起こることはすべて正しい – 恐怖の体育館篇 – / 深井次郎エッセイ

新しい競技だと思う

ツルツル滑る。新しい競技です

 

 

 最低の2時間を実りあるものに変えた話 

 

「なにこれ、つるつるじゃん!」

体育館がまるで氷上。スケートリンク並みに滑るのです。 この日は毎週恒例のバスケの日。「おはよーっす!」なんていつものように、集まってくるメンバーが、来るなり次々と転びます。

スッテーン!!

「怖っ! な、なに、どういうこと…?」

こんなことってあるか? いま何が起こっているのか、みんなで顔を見合わせる。人生初めての経験に、脳が混乱しているのがわかります。 いつも使っている、見慣れた体育館。いつも通りバッシュを履いて、いつものように走り出すと、ヌルーン、ヌルーン。 普段はキュッ! キュッ! と心地いい音を立ててグリップするのですが、この日はまったくの異次元です。

とにかく状況を知りたく、事務スタッフを呼び、確認。

「このコート、何かワックスとかかけたんですか?」

聞くと、なんだか目を泳がせながら、モゴモゴしています。

「い、いえ… ほら、台風で湿気がすごいので…」

「うそー! 湿気ですか? こんなになります?」

「ま、まあ… なってしまう… ようです… 」

いやいや、湿気でどうこうのレベルではないことは明らかです。むしろ湿気のある日は、キュッとよく止まります。おそらく間違ったワックスをかけてしまって、ミスを責められないよう、隠しているのでしょう。ヌルヌルしてるし。

裏事情はさておき、忙しい仕事の合間をぬって集まったバスケ好き14名。氷上のように滑るコートを前に途方に暮れます。これ、バスケできる? 走ることもままならないし、走ったら、止まれないし曲がれません。

「とてもバスケにならないでしょう、これ。確実にケガするよ」

「だれか尾てい骨、折るね…」

「どうするか… せっかく集まったのに… 」

想定外の状況でこそ、その人の真価が問われます。となりのコートをみると、バドミントンチームが、このあり得ない状況にクレームを入れ、ぶーぶー言いながら早々に退散していきます。 もちろん、ぼくらも2時間楽しもうと思ってきたのですから、ガックリはしました。でも、その2時間後。しっかり汗を流し、わりと晴れやかな顔で「おつかれ、じゃあまた来週ね! 」と解散したのです。

 

 

 逆境をうけいれる4つの心得 

 

【心得1】  忘れて、別の競技だと考える

 「これ厳しいなぁ…」だれでもがはじめは文句を言っていました。でも、だれともなくシューティングをはじめ、「ケガには十分気をつけながら、試合やってみようか」ということになり。おそるおそる、そして滑るフロアに体を適応させていきました。

さすがみんなスポーツ好きの集まりだけあって、滑りながらもシュートを決めるコツを会得しはじめたのです。

「なんかさ、これはこれで別の競技として、ありかもね」
「スケート・バスケットみたいな」
「そう、いっそバスケのことは忘れた方がいい」

頭を切り替えたのです。バスケはキュッと止まるものですが、もうそれは叶わぬ願い。ならばそれは忘れて、「これは似て非なる競技なのだ」と考えたら不満はでません。 アイスホッケーのように、サーサーと滑りながらドリブルしていきます。この際、トラベリングも関係ありません、バスケじゃないのですから。初めてやる競技。思うように動けなくても、あたりまえです。

「うわー、難しいなー」

いつのまにかワイワイ笑いながら、プレイしていました。初めての体験は、本当は楽しいのです。

 

【心得2】 こういうトレーニングだと考える

少しバランスを崩しただけで、転んでしまうコート。そのおかげで普段意識しないバランス感覚を鍛えることができます。切り返しのときや、ジャンプのとき、バランスがわるいと余計なところに負担がかかって、怪我の原因になります。今回、バランスを意識して動くことで、普段のプレイでの体の使い方をあらためて考える機会になりました。

プロ選手も、いつも同じ体育館だけでトレーニングしているわけではありません。わざと砂浜でダッシュしたり、傾斜を登ったり、より過酷な環境でのトレーニングを混ぜています。

「たまにはこういうトレーニングメニューもいいかもね」

体に新しい刺激を入れることで、より柔軟に、そして強くなれるのです。

 

【心得3】  特殊な状況を共有すると絆が深まる

みんな何度も転びます。大人になると、普通に生活していると転ぶこともありません。思うように動けないのは新鮮。ワーワー笑いながらプレーしています。いつもはみんなプライドもあって、勝った負けたにこだわってぶつかりあってます。しかしこの日は、普段はあまり見られない種類の笑顔も見れました。

あり得ない、逆境には、だれもが最初は文句を言うものです。でも、たとえば何年後か過去を振り返ったとき、残っているのは過酷だったときの思い出です。

問題なくスムーズに進んだ日々は、記憶に残りません。そのときは「楽ちんで助かるわ」と思うものですが、真っ先に忘れてしまうもの。あとで語りたくなったり、思い出してにんまりしてしまうのは、いつも決まって大変だった思い出なのです。

「そういえば、あんな事件あったよねー」と笑いあう時間は楽しいものです。状況が過酷な分だけ、仲間と絆が深まるのです。

 

【心得4】 あのときに比べればマシと自信がつく

大事な大会のときなど。体育館のコンディションは、まちまちです。フロアが古かったり、埃があったりして、ズルズル滑ることもある。バスケにとって、キュッと止まれるかどうかはとても重要で、コートがわるいと、プレーにも大きく影響します。滑るとついイライラしてしまうものですが、今回のスケート・バスケによって、経験の幅が広がりました。

「いくら滑るといっても、あのときより滑るわけではない」
「あのときでさえシュートを決められていたのだから、大丈夫」

そうやって今後、気に入らないコートでも、イライラしなくなるでしょう。極限を経験することで、ストレス耐性がつくのです。

 

 

 偶然の一致には意味がある 

 

ぼくらも、あの氷上のようなすべる体育館を前にして、「文句を言って帰ってくる」という選択肢もありました。帰ったバドミントンチームは体育館使用料も返金してもらったそうです。

でも、ぼくはきっとそれで帰ってもスッキリしない。もんもんとしていたと思います。

「あーあ、無駄足だった。楽しみにしてたのに… 」

そのあとの打合せとかで、仲間に愚痴を聞いてもらっても、まわりにも迷惑でしょう。 人生には、あり得ないことが、起こります。氷上のような体育館なんて、たぶん一生遭遇しないレベルの出来事です。少なくとも、36年生きてきて初めてでした。

そんな事件がしかも、その日(9/9)はぼくの誕生日だったのですが、そんな日に起きたわけです。こんな偶然は、間違いなくなにか意味のあることだろう。スルーせずに、その意味を考えたのです。

「どんなに思い通りにいかない状況でも、受け入れること。仲間と楽しんでいけばうまくいくよ。ふてくされないで! 絶対に道はあるから。かならず笑える日が来るから」

そんなメッセージを受取りました。

「今までの体育館はよかったのに」とか、「他の体育館だったらよかったのに」とか。比較したって、今はこの状態なんだから、受け入れるしかしかたありません。せっかく集まったのだから、この2時間をみんなで精一杯楽しむためにはどうするか、です。

 

 違う競技を比較することはできない 

 

「転職したら、社内は困った人ばかりだった」 これだったら前の会社の方がまだましだったかも、と嘆いている人がいました。 

これがバスケだと思うと滑るコートにイライラするように、これが会社だと思うからイライラするのです。もうぜんぜん別の競技。そうわりきるのです。そこは会社ではなく、動物園。あなたは社員ではなく、猛獣使い。そんなゲームだと思えばどうでしょう。

人生とはゲームです。でも、ひとりひとりが違うゲームをプレイしています。スタートラインも違えば、ゴールも違う。戦闘力も違います。

他人と比較することに意味はありません。競技が違うのです。サッカーで3点もとったらヒーローですが、バスケで3点ぐらいとっても、たいした活躍ではありません。

バスケだったら、いかにフェイクをかけるかが醍醐味ですが、野球のピッチャーだったら、ボークで反則をとられます。

100m走はスピードを競いますが、フィギアスケートは芸術点を競います。速ければ良いわけではありません。

早く成功した人と比較して、自分はだめだとうなだれる必要はまったくないのです。競技が違う。あなたは、あなたの競技で工夫して精一杯やればいい。

思い通りにいかなくても、そういう競技だと受け入れるのです。ビーチバレーをしているのに、「砂に足がとられる!」と怒る選手はいません。そういうルール。制限があるから、自由がきかないからこそ、面白いのです。

 

 

(約3549字)

Photo:Drew Coffman

 

 

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。